家族はどう見ているか?
今日は文字を大きめにして、なるべく見やすいようにしています。
職業も増えたりしたそうな今日のアスガルドやMMO(RPG型オンラインゲーム)ですが、あまり気乗りはしませんね。
確か去年の2008年2月6日がとあるギルドサイトに残っている最後の更新なので、約1年と4ヶ月はネットゲームから離れています(1年ほどやっていなかった時期もあるのでここらが心配な時期)。これで良いと私は思っていますが、勿論それは他人によってさまざま。考え方もそれぞれなので、他人様の意見に対して口出ししようなどとは思っていません。
ですが、問題は家族がプレイヤーをどうみているか、という視点の転換をしてみるとどうでしょうか?
家族はネットゲームにのめり込む後ろ姿を見て喜んでいるでしょうか?
母親は、或いは父親は、子を持つ人なら子どもは…どう思っているでしょうか?
そんなことを考えるのはめんどくさいと思うかもしれませんが、家族という存在は切っても切れない運命にあると思います。液晶画面にべったりな自分を「よく育ってくれた。非常に嬉しい。或いは良い両親だ。」と思ってくれるでしょうか?
反対の立場というものは怖いものがありまして、案外自分より物語ってくれる場合があります。ひきこもりながらやっている人がいたら、一度両親の顔を見てからネットゲームをやってみてもいいのではないでしょうか?
私の場合はあまり良い顔をしてなかったです。今の現状を見て「よくやめられたなぁ」と安堵している感じです。廃人と化してやっていた時代は尚更でして、食べるときも気ままに、寝るときもきままにしてました。とある研究室で勉強できているのが唯一の救いです。
あなたの場合はどうですか?少し立ち止まって考えてみてください。もし、ネットゲームに反対の表情や言葉が出ているなら、それはきっとやめてほしい合図なんだと思います。
付録
最近みたYahoo!!のニュースで掲載されていたネットゲーム利用者数の系統を載せておきます。これを見る限り、ネトゲ利用者ってものすごい勢いで増えてるんだなぁ、って感じです。ゲームの世界は魅力的ですが、自分の世界も魅力的だと思いませんか?辛いこと、悲しいこと、苦しいことばかりじゃないよ。そればかりが目に付くし、凄く逃げたいけど、ゲームに逃げ場はなくて、ただ曇天の空が広がっている感じがする。更正施設や国の設ける更正プログラムに乗る前に、自分を振り返って、立ち止まってみよう。問題を置き去りにするんじゃない。捨てるのでもない。大事に抱え込む、それが大切なこと。
職業も増えたりしたそうな今日のアスガルドやMMO(RPG型オンラインゲーム)ですが、あまり気乗りはしませんね。
確か去年の2008年2月6日がとあるギルドサイトに残っている最後の更新なので、約1年と4ヶ月はネットゲームから離れています(1年ほどやっていなかった時期もあるのでここらが心配な時期)。これで良いと私は思っていますが、勿論それは他人によってさまざま。考え方もそれぞれなので、他人様の意見に対して口出ししようなどとは思っていません。
ですが、問題は家族がプレイヤーをどうみているか、という視点の転換をしてみるとどうでしょうか?
家族はネットゲームにのめり込む後ろ姿を見て喜んでいるでしょうか?
母親は、或いは父親は、子を持つ人なら子どもは…どう思っているでしょうか?
そんなことを考えるのはめんどくさいと思うかもしれませんが、家族という存在は切っても切れない運命にあると思います。液晶画面にべったりな自分を「よく育ってくれた。非常に嬉しい。或いは良い両親だ。」と思ってくれるでしょうか?
反対の立場というものは怖いものがありまして、案外自分より物語ってくれる場合があります。ひきこもりながらやっている人がいたら、一度両親の顔を見てからネットゲームをやってみてもいいのではないでしょうか?
私の場合はあまり良い顔をしてなかったです。今の現状を見て「よくやめられたなぁ」と安堵している感じです。廃人と化してやっていた時代は尚更でして、食べるときも気ままに、寝るときもきままにしてました。とある研究室で勉強できているのが唯一の救いです。
あなたの場合はどうですか?少し立ち止まって考えてみてください。もし、ネットゲームに反対の表情や言葉が出ているなら、それはきっとやめてほしい合図なんだと思います。
付録最近みたYahoo!!のニュースで掲載されていたネットゲーム利用者数の系統を載せておきます。これを見る限り、ネトゲ利用者ってものすごい勢いで増えてるんだなぁ、って感じです。ゲームの世界は魅力的ですが、自分の世界も魅力的だと思いませんか?辛いこと、悲しいこと、苦しいことばかりじゃないよ。そればかりが目に付くし、凄く逃げたいけど、ゲームに逃げ場はなくて、ただ曇天の空が広がっている感じがする。更正施設や国の設ける更正プログラムに乗る前に、自分を振り返って、立ち止まってみよう。問題を置き去りにするんじゃない。捨てるのでもない。大事に抱え込む、それが大切なこと。
2009.07.01 Wed 19:39
自転車とチェーン
どうやら最近、ネットゲームはよくやられているらしい。
ゲーム依存の新聞記事を見て、また改めて考えさせられた。
もうアニメも見る時間が少なくなってしまって、土日朝6時半に起きたら1999年以前のアニメを一本見れるか見れないか、くらいになってる。朝からカウビもなんだから、CCさくらを20話まで見た。まだ50話あると考えると先が思いやられる。そろそろ終焉かな、と感じる。
ゲームはもう3Dについていけなくて、全くといって良いほど縁を切ってしまった。唯一挙げるなら、2008年にやったシンフォニック=レインくらい。岡崎律子さんの音楽をよく聴くようになった。しかし彼女はもうこの世にいない。その人生の終末を謳った歌詞に切なさを感じながら、ほぼ毎日聴いている。
ネットゲームは全くしなくなってしまった。あれだけ時間を注ぎ込んだのに、アイテムもどうでもよくなったが、だが誰かに奉仕する気が全くない。そもそも2004年のPCだから、30分くらいでPCがシャットダウンする。それくらいガタが来てる。
勿論それなりの装備をしていたから、おそらく高額で売れるだろうが、あまり興味が無い。
この記事を見て「欲しい!」と思った人もいるかもしれないが、あまりお勧めしない。
ログインする気もないし、自分のキャラを売るつもりもない。装備を譲る気もない。修、吟、魔、聖など色々いたが、眠ってもらうつもりでいる。彼らには世話になった。
報告書とレポートを書くことさえままならない。途中でシャットダウンしたときにはさすがに冷や汗をかいた。何とか記録してくれてたみたいで助かったが…このPCはあと何年ももたん。
研究報告会みたいなのにギリギリで間に合わせ、奨学金のかかった報告書にもギリギリ。まったくもって忙しい生活を送っている。
加えて外国語の試験も迫っている。独逸留学の経験もあるせいか、何とかDDJは通過できそうだが、ZDが無理に近い。あれは面接もあるから非常に難しい。独語のコミュニカツィオーンは英語以上に難しい。タンデムパートナーが欲しいくらいだ、切羽詰りすぎている。
とある有名な哲学者の翻訳作業もしている。勿論独語。研究室で一対一で教えてもらっているので、これがまた面白い。だが、難しい。
難しい問題だらけなのに、猫を飼い出した。部屋がきれいになった。荒らされてから気づくこともある。ノートパソコンが猫の肉球でいっぱいになっている。動物に世話をしてもらっている感じがするが、さすがにカーテンを破られるとは思ってもいなかった。猫は思考している。人間以上の行動に驚くときが頻繁にある。
インターネットに繋ぐ時間も極端に減った。これによってもたらされた恩恵は大きい。その結果、ネットに繋ぐ際に(な、何やろか…)と思うようになった。前まではすぐにアスにログインして、チャットをして楽しんだ。今では研究会や翻訳の作業の合間の会話を楽しんでいる。
梅雨が本格的になり始め、憂鬱な気分の人も多いだろう。私はかつて雨を見たとき、「地球が泣いている」のだと思ったが、一学徒の「地球は遊んでいる」という意見に興味を持って、時間に余裕があるときは雨音と風鈴を楽しみながら緑茶を飲んでいる。実はその間にも報告書はやらねばならないのだが…。
こうして段々とネットの依存からより包括的な視線を備え持つようになれた。過去の自分のネトゲ評論を見ると恥ずかしい限りだ。
苦しんでいる立場の人間を更に苦しめるような言葉しか掲載されていない。攻撃に攻撃を加えているようなものだ。「目には目を、歯には歯を」ではハンムラビ法典と何ら変わらない。とてつもなく恥ずかしい思いをするが、敢えて残しておくのも良い判断と思う。
こうしてネットゲームを振り返ると、あまり言葉は出ない。そもそも出せない部分が多いのだろう。
ネトゲ批判者は時間の無駄だとよく言うものだが、客観的時間(秒針で刻む時間)より主観的時間(ゲームをしたり、熟考したりする時間)に重点が置かれることをよく知らない人間が言う言葉だと思う。全くそれが新聞記事に掲載されるなんて馬鹿な話だ。
色々書いてみたが、おそらくだれもあんまりみないと思うから本音を言ってみよう。リア充とかネトゲ依存とかそんなことはもう私の思考の範囲外だ。ただ、脱出は出来ていない。脱出できたその日には、おそらくこのブログは更新されないまま終わりを迎える。
ゲーム依存の新聞記事を見て、また改めて考えさせられた。
もうアニメも見る時間が少なくなってしまって、土日朝6時半に起きたら1999年以前のアニメを一本見れるか見れないか、くらいになってる。朝からカウビもなんだから、CCさくらを20話まで見た。まだ50話あると考えると先が思いやられる。そろそろ終焉かな、と感じる。
ゲームはもう3Dについていけなくて、全くといって良いほど縁を切ってしまった。唯一挙げるなら、2008年にやったシンフォニック=レインくらい。岡崎律子さんの音楽をよく聴くようになった。しかし彼女はもうこの世にいない。その人生の終末を謳った歌詞に切なさを感じながら、ほぼ毎日聴いている。
ネットゲームは全くしなくなってしまった。あれだけ時間を注ぎ込んだのに、アイテムもどうでもよくなったが、だが誰かに奉仕する気が全くない。そもそも2004年のPCだから、30分くらいでPCがシャットダウンする。それくらいガタが来てる。
勿論それなりの装備をしていたから、おそらく高額で売れるだろうが、あまり興味が無い。
この記事を見て「欲しい!」と思った人もいるかもしれないが、あまりお勧めしない。
ログインする気もないし、自分のキャラを売るつもりもない。装備を譲る気もない。修、吟、魔、聖など色々いたが、眠ってもらうつもりでいる。彼らには世話になった。
報告書とレポートを書くことさえままならない。途中でシャットダウンしたときにはさすがに冷や汗をかいた。何とか記録してくれてたみたいで助かったが…このPCはあと何年ももたん。
研究報告会みたいなのにギリギリで間に合わせ、奨学金のかかった報告書にもギリギリ。まったくもって忙しい生活を送っている。
加えて外国語の試験も迫っている。独逸留学の経験もあるせいか、何とかDDJは通過できそうだが、ZDが無理に近い。あれは面接もあるから非常に難しい。独語のコミュニカツィオーンは英語以上に難しい。タンデムパートナーが欲しいくらいだ、切羽詰りすぎている。
とある有名な哲学者の翻訳作業もしている。勿論独語。研究室で一対一で教えてもらっているので、これがまた面白い。だが、難しい。
難しい問題だらけなのに、猫を飼い出した。部屋がきれいになった。荒らされてから気づくこともある。ノートパソコンが猫の肉球でいっぱいになっている。動物に世話をしてもらっている感じがするが、さすがにカーテンを破られるとは思ってもいなかった。猫は思考している。人間以上の行動に驚くときが頻繁にある。
インターネットに繋ぐ時間も極端に減った。これによってもたらされた恩恵は大きい。その結果、ネットに繋ぐ際に(な、何やろか…)と思うようになった。前まではすぐにアスにログインして、チャットをして楽しんだ。今では研究会や翻訳の作業の合間の会話を楽しんでいる。
梅雨が本格的になり始め、憂鬱な気分の人も多いだろう。私はかつて雨を見たとき、「地球が泣いている」のだと思ったが、一学徒の「地球は遊んでいる」という意見に興味を持って、時間に余裕があるときは雨音と風鈴を楽しみながら緑茶を飲んでいる。実はその間にも報告書はやらねばならないのだが…。
こうして段々とネットの依存からより包括的な視線を備え持つようになれた。過去の自分のネトゲ評論を見ると恥ずかしい限りだ。
苦しんでいる立場の人間を更に苦しめるような言葉しか掲載されていない。攻撃に攻撃を加えているようなものだ。「目には目を、歯には歯を」ではハンムラビ法典と何ら変わらない。とてつもなく恥ずかしい思いをするが、敢えて残しておくのも良い判断と思う。
こうしてネットゲームを振り返ると、あまり言葉は出ない。そもそも出せない部分が多いのだろう。
ネトゲ批判者は時間の無駄だとよく言うものだが、客観的時間(秒針で刻む時間)より主観的時間(ゲームをしたり、熟考したりする時間)に重点が置かれることをよく知らない人間が言う言葉だと思う。全くそれが新聞記事に掲載されるなんて馬鹿な話だ。
色々書いてみたが、おそらくだれもあんまりみないと思うから本音を言ってみよう。リア充とかネトゲ依存とかそんなことはもう私の思考の範囲外だ。ただ、脱出は出来ていない。脱出できたその日には、おそらくこのブログは更新されないまま終わりを迎える。
2009.06.22 Mon 22:40
桃源郷
ネットゲームを引退して、はや一年。
ゲームをしているとき、掲示板ではよくこんな記事を目にした。
「引退します」
でも、実はゲームをやってたり、復活したりする人がいる。
「復帰しました」
そしてまたこういう記事を目にする。
「やっぱり引退します」
それほどネットゲームってのは人を魅了するものがあるんだなぁと痛感する。
別にやっていることがダメなんじゃないと思う。でも、やることによって得られるものっていうのが、見え辛い。
相変わらず文献購読と研究室の中で、必死になってやってた時期を思い出すと、ふとこう思う。
あの経験ってなんだったんだろう?って。
ゲームはゲーム。それは確かだろう。それで良いんだと思う。ゲームを楽しんでいた。
ただそれだけの時間だった。そして、ゲームはいつかエンディングがないといけない。
そうじゃないとゲームとは言わない。
エンディングを迎えた人は、私のように振り返ってみる時間を作るのも良いかもしれませんね。
ゲームをしているとき、掲示板ではよくこんな記事を目にした。
「引退します」
でも、実はゲームをやってたり、復活したりする人がいる。
「復帰しました」
そしてまたこういう記事を目にする。
「やっぱり引退します」
それほどネットゲームってのは人を魅了するものがあるんだなぁと痛感する。
別にやっていることがダメなんじゃないと思う。でも、やることによって得られるものっていうのが、見え辛い。
相変わらず文献購読と研究室の中で、必死になってやってた時期を思い出すと、ふとこう思う。
あの経験ってなんだったんだろう?って。
ゲームはゲーム。それは確かだろう。それで良いんだと思う。ゲームを楽しんでいた。
ただそれだけの時間だった。そして、ゲームはいつかエンディングがないといけない。
そうじゃないとゲームとは言わない。
エンディングを迎えた人は、私のように振り返ってみる時間を作るのも良いかもしれませんね。
2009.05.25 Mon 22:40
学校が全てなんて誰も言っていない
そういえば、以前高校三年生の女子高生が出産した子どもを殺した事件がありましたよね。
命ってのは本当に平等じゃない。屁理屈を言うのであれば、生まれてくること、場所、親を選択できないという点においては、私もあなたも平等なのかもしれない。
最近のアスガルドはどうなっているのでしょう?私にはさっぱり分からない。
ただ、「まるでダメなおとこoderおんな」略してマダオに成り下がっていないか、ということが心配ですね。
2chを頻繁に見ていながらアスやったりしてる人も、マダオ領域に充分入る感じがする。
命ってのは与えられながらにして不平等だから、自分の世界が狭まりすぎていく?それとも命は平等なら狭まらない?問いかけ自体がおかしいのもありますが、ネットゲームのキャラはあくまでキャラでしかない点において、もう世界が狭いですね。
キャラは中身のあるものじゃないから、現実では中身があったほうがそれこそ不平等で良い感じですね(笑)
命ってのは本当に平等じゃない。屁理屈を言うのであれば、生まれてくること、場所、親を選択できないという点においては、私もあなたも平等なのかもしれない。
最近のアスガルドはどうなっているのでしょう?私にはさっぱり分からない。
ただ、「まるでダメなおとこoderおんな」略してマダオに成り下がっていないか、ということが心配ですね。
2chを頻繁に見ていながらアスやったりしてる人も、マダオ領域に充分入る感じがする。
命ってのは与えられながらにして不平等だから、自分の世界が狭まりすぎていく?それとも命は平等なら狭まらない?問いかけ自体がおかしいのもありますが、ネットゲームのキャラはあくまでキャラでしかない点において、もう世界が狭いですね。
キャラは中身のあるものじゃないから、現実では中身があったほうがそれこそ不平等で良い感じですね(笑)
2009.02.21 Sat 22:57
あけました。
リアルが忙しかったのでブログもろくに更新できなかった…。
今回取り上げるグロウエッグならぬ卵子のネトゲ評論、それは…。
「キャラクターとペルソナ」
もしかしたら、画面を見ているのは60歳の高齢かもしれない。はたまたNEETかもしれない。
あなたは誰?学生・フリーター・主婦・ひきこもり…?
そんなよく分からないペルソナを被っているのがあなたのキャラクター。
Personaとはご存知の通り、Person(英)やPersonen(独複・ペルゾーネン)の語源とも言われています。そんなキャラクターを動かしているのはアナタ。では、アナタは仮面を被った人間?それとも?
子どもの頃は意識しなかった事柄が、今に迫ってきてどうしようもなくなることっていうことは沢山ある。でも、自分自身と、或いは他人とののしりあっているだけじゃ、ずっとそのアスガルド界に入り浸ってしまう。そんな経験、僕もあります。
だから今ってすんごく重要で、自分にとって大切だから是非ネトゲ界を抜け出して、太陽の光を浴びてみて欲しい。
自由研究で、「太陽光で動く逆上がりロボット」を小学生5年で作った覚えがあるけど、光ってのはとても重要なんだなぁってあの頃とってもよく思った。
臭いものにフタをする社会だから、臭いところで生きていかないといけない。そもそもキャラクターがきれい過ぎて、人間の排出物やゴミのこと、隠顕な人間関係ってのが軽薄な毎日を過ごす前に。
どうぞ表に出てみてください。
今回取り上げるグロウエッグならぬ卵子のネトゲ評論、それは…。
「キャラクターとペルソナ」
もしかしたら、画面を見ているのは60歳の高齢かもしれない。はたまたNEETかもしれない。
あなたは誰?学生・フリーター・主婦・ひきこもり…?
そんなよく分からないペルソナを被っているのがあなたのキャラクター。
Personaとはご存知の通り、Person(英)やPersonen(独複・ペルゾーネン)の語源とも言われています。そんなキャラクターを動かしているのはアナタ。では、アナタは仮面を被った人間?それとも?
子どもの頃は意識しなかった事柄が、今に迫ってきてどうしようもなくなることっていうことは沢山ある。でも、自分自身と、或いは他人とののしりあっているだけじゃ、ずっとそのアスガルド界に入り浸ってしまう。そんな経験、僕もあります。
だから今ってすんごく重要で、自分にとって大切だから是非ネトゲ界を抜け出して、太陽の光を浴びてみて欲しい。
自由研究で、「太陽光で動く逆上がりロボット」を小学生5年で作った覚えがあるけど、光ってのはとても重要なんだなぁってあの頃とってもよく思った。
臭いものにフタをする社会だから、臭いところで生きていかないといけない。そもそもキャラクターがきれい過ぎて、人間の排出物やゴミのこと、隠顕な人間関係ってのが軽薄な毎日を過ごす前に。
どうぞ表に出てみてください。
2009.01.19 Mon 03:33